更新状況 2024年2月~

10月18日 【資料・書籍など】鮮満旅行案内

  9月18日 【仁川だより】長屋に現れた空間

  8月28日 【仁川だより】「しあわせ」という店がある場所、そこはかつて・・・

  7月  8日 【お知らせ】仁川旅行

  6月  8日 【仁川のお話】平石さんの思い出  

  5月  8日 【絵葉書・書籍紹介】東本願寺及小学校

  4月  8日 【お知らせ】現在も活躍する仁川出身のラジオパーソナリティー

  3月28日 【絵葉書・書籍紹介】佐藤米次郎さんの仁川のお話

  2月28日 【絵葉書・書籍紹介】仁川閣の蔵書票・「お知らせ」今後の更新を加筆修正

  2月  8日 【絵葉書・書籍紹介】『オッパ』

 


 現在の大韓民国にある인천(インチョン)は、かつて仁川(ジンセン)と呼ばれ、戦前戦中多くの日本人が暮らしていました。1945年8月の終戦後、仁川で暮らしていた日本人たちはそれぞれ日本の各地に引揚げ、戦後の混乱期の中、新たな生活を始めました。そんな中、仁川での生活を懐かしみ、仁川での仲間や知り合いが集まるようになって各地で「仁川会」が作られ交流を深めていきました。そして時の経過とともに仁川会は広がりを見せ、各地の仁川会が持ち回りで大会を開くようになり、2000年を過ぎたころには各地の仁川会が結集して、日本仁川会として大会を主催してきたと聞いています。

 その歴史ある仁川会も現在は活動を休止しており、今後大会が開催されることは難しい状況であろうと思います。原因は会員の高齢化によるものです。しかし現在でも仁川を懐かしむ人たちは多く、また当時のことを知りたいと思う方も多くいるのですが、仁川会の活動が休止していることで情報交換や交流する機会が非常に少なくなってきています。

 この「仁川を想う会」は、そうした情報交換や交流の場、そして仁川で日本人がどういう生活をしていたのかを後世に伝えていかなければならないと思い、立ち上げた会です。会の活動を通して、当時の仁川の調査・研究が進むことも願っております。


管理人の紹介

井上浩一(藤川文化堂)

役場職員を早くに退職したのち、中国、韓国に渡る。韓国では済州外国語高校、晨星女子高校などで外国語補助教師として教壇に立つ。帰国後、私立高校の常勤講師をし、その間、中国の姉妹校でも勤務する。2012年には北方領土の択捉島に日本語講師として派遣される。

 

 戦前・戦中の短い期間でありましたが、祖父が朝鮮機械製作所に勤めており、一家は万石町で暮らしておりました。子どものころ母から聞いた仁川の話が忘れられず、韓国に行ったときには必ず仁川にも行ってみようという思いがありました。わたしが最初に仁川へ行ったのは1998年。その時には祖父はすでに亡くなり、仁川によく行っていた大叔父も亡くなっていたので当時の話を聞くことができず、もう少し早く行動すればよかったと後悔したことを覚えております。

 最近、母も仁川での日々をだいぶ忘れてしまっています。当時の仁川はどんなところで、どんな生活をしていたのだろうか。わたしの世代が知らなければ、次の世代には伝えていくことが難しくなるのではないかと思っております。


下の写真は当時の仁川の絵はがきです。

仁川市街

仁川支那町


仁川郵便局

仁川港岸壁


月尾島海水浴場

仁川海岸の光景