仁川旅行
地元の知り合いたちが韓国ドラマに出るような場所でお酒を飲みたいというので、仁川でよかったら年に一回は行きますと以前話をしたことで、今回8月17日~19日の2泊3日、地元の知り合いたちとオッサン3人の仁川を旅行します。
目的は知り合いを喜ばすことと、頼まれているお土産を買うことぐらいです。それ以外は時間があると思いますので、仁川の街中で気になっている場所があれば、代わりに見てきます。ご連絡お待ちしております。
現在も活躍する仁川出身のラジオパーソナリティー
昭和4(1929)年に仁川でお生まれになり、仁川中学4年の時に終戦で引揚げてきた伊野啓三郎さん、御年95。現在も現役でラジオパーソナリティーを務めているというから驚きです。
担当するラジオは宮崎MRTラジオの「アンクル・マイクのBeautful Morning」という洋楽番組です。アンクル・マイクこと伊野啓三郎さんが初めて洋楽を聴いたのは仁川中学2年の時、友人宅を訪れた日に蓄音機から流れてきたのは「グッドナイト・アイリーン」。引揚げ以降は洋楽に没頭し、レコード店に入り浸っていたといいます。
「アンクル・マイクのBeautful Morning」は宮崎MRTラジオで月曜日から金曜日の毎朝7時から7時10分まで放送しています。時々仁川のお話も出てくるということです。
今後のHP更新について
いつも「仁川(ジンセン)を想う会」のHPを見ていただき、ありがとうございます。2015年にこのHPを立ち上げ、皆様からの情報提供や思い出話を中心にHPに情報をアップしております。情報をくださる皆様には大変感謝しております。これまでは、ひと月に一度新しい情報をアップすることを心掛けておりましたが、近年は情報も少なくなってあり、2024年からひと月は一度の更新ができない場合もごさいます。楽しみにしていらっしゃる皆様には誠に申し訳ないですが、ご理解していただき、今後も「仁川(ジンセン)を想う会」をよろしくお願いいたします。
『降ろされた日の丸』についての論文が発表される
『降ろされた日の丸』の著者吉原勇さんからご連絡がありました。仁川在住の戸田郁子さんから吉原さんに『降ろされた日の丸』についての論文が韓国学研究という専門誌に掲載されていると連絡があったそうです。論文は仁荷大学韓国学研究室のユン・ミランさんによって書かれたもので、吉原さんは厳しい批判が書かれているかなとも思ったそうですが、結論は在朝日本人による和解のための記憶と解釈できるというものだったそうです。
『降ろされた日の丸』がこの「仁川(ジンセン)を想う会」のHPを立ち上げるきっかけになりました。まだ読まれていない方がいらっしゃいましたら、是非読んでみてください。
仁川訪問予定 인천 방문 예정
コロナ拡散状況にもよりますが、12月末から1週間ほど仁川を訪問する予定です。前回の韓国に行ったのが、2019年10月だったので、結構月日が経過しました。これほど長い期間韓国を訪れなかったのは初めてです。
仁川では博物館や朝鮮機械製作所が前身の斗山インフラコアにも立ち寄ってみたいと思っております。宿泊も仁川でする予定です。時間が空いている方がいましたら、ご連絡ください。
白黒写真をカラー写真に
お知らせしようと思っていながら、HPに出すのを忘れておりました。白黒写真に色を付けカラー写真のようにできるサイトがあります。
下の赤字で書いてあるサイトをクリックしてください。下左の写真のような画面になりますが、その前に広告が出てきます。それは無視するか、×で消してください。そのサイトに「ファイルをクリックまたはドロップ」というところがあります。そこに写真を持っていくだけで、白黒写真に色が付きます。そのサイトの下の方にいくと、やり方を動画でも紹介していますので、参考にしてください。
わたしも試してみました。その写真を載せておきます。実際の色が写真のようだったのかはわかりませんが、ほぼそんな感じだったのでしょう。以前、このHPにアップした仁川西公園で撮影されたと思われる写真です。色が付くと当時の様子がより伝わってきます。
お譲りします 帝國百科全書『朝鮮史』
わたしの手元に明治43年発行の帝國百科全書『朝鮮史』の5版(初版は明治38年)があります。知り合いにもらったものですが、調べたいこととは少し時代が違っているので、そのままにしておりました。
この本をわたしがこのまま持っているよりも他の人にお譲りした方がお役に立つのではないかと思い、無料でお譲りすることにしました。ご希望の方はメニューにある問い合わせのところからご連絡ください。古い本ですが保存状態はいいです。
仁川中区庁前の人力車像撤去へ
しばらく仁川を訪問していない方はご存知ないかもしれませんが、2014年に中区庁前に人力車像が設置されました。2014年なので最近の話ですが、なんとこの人力車像が早くも撤去されるようです。8月31日の中央日報日本語版をリンクしておきますので、ご覧ください。
https://japanese.joins.com/article/143/257143.html?servcode=400§code=400&cloc=jp|main|top_news
仁川・ソウル旅行
7月1日~4日の日程で管理人が仁川・ソウルへ旅行に行きます。現地での行動予定はまだ決まっていないので、〇〇を見てきてもらいたいとか、〇〇を調べてきてもらいたいなど要望があれば、上のメニューある「お問い合わせ」からご連絡ください。
吉原勇さんブログ開設
仁川(ジンセン)を想う会に『仁川の70年』という題で長期にわたり連載をしていただいた吉原勇さんがブログを開設しました。ブログ名は「吉原勇のブログ」です。みんなで応援しましょう!!
韓国のサイトで紹介されました
先日、仁川訪問の際お会いした李成珍先生から掲示板に書き込みがありました。インチョンニュース(인천뉴스)というインターネット新聞に7月9日「朝鮮機械製作所」という記事がアップされ、「仁川(ジンセン)を想う会」、そして吉原勇氏が執筆された『仁川の70年』が紹介されました。
http://www.incheonnews.com/news/articleView.html?idxno=105948
仁川を訪問します
5月16日(水)~20日(日)の日程で管理人が仁川を訪問し、日本人が暮らした街を中心に仁川に現存する当時のものを調査してきます。見てきてほしい場所や思い出話などがありましたら、このホームページの「お問い合わせ」のところからご連絡いただければうれしいです。
仁川訪問は2015年以来です。今でも発展し続ける仁川、前回訪問したときからも変わっているところがあると思います。訪問した様子は後日このホームページで報告する予定です。
「仁川の70年」最終回
2016年2月26日に連載を開始した吉原勇氏執筆の「仁川の70年」の連載がちょうど70回となりました。吉原さんの調査研究による興味をかき立たせる見解、そして史実に忠実でありながら歴史本のような堅苦しさもなく、初めて仁川を知りたいと思った方にもすっと頭に入ってくる内容で好評を得ていました。わたし自身も何度も読み返し、大変勉強になりましたが、今回の「朝鮮機械製作所6」で最終回となり、連載を終えることになりました。2年にわたる長期連載で吉原さんには大変お世話になりました。心から感謝申し上げます。
「仁川(ジンセン)を想う会」を立ち上げて間もなく、吉原さんと東京でお会いし、そこで連載のお話をいただきました。「仁川の70年」の連載が始まったことで内容も充実し、「仁川(ジンセン)を想う会」のHPを見てくださる方も増えてきました。仁川という漢字を見て「ジンセン」と発音する人は少数派になっていますが、朝鮮半島の西岸にかつてジンセンとよばれ、多くの日本人が暮らしていた場所があったこと、仁川はどのように発展していったのか、次の世代にも伝えていこうと思います。吉原さんの連載は終わりましたが、これまでと同様、またこれまで以上に「仁川(ジンセン)を想う会」をご支援してくださるようお願いいたします。
管理人インドネシアに赴任
「仁川を想う会」を支援くださっている方々、いつもお世話になっております。実は管理人が9月25日から3月30日までインドネシアのシドアルジョというところに赴任いたします。日本から離れることでHPに載せる情報収集が難しくなったり、日本とは違う現地のネット環境ということでこれまでのように定期的に更新できないことがあるかもしれません。インドネシアに参りましても更新は続けていきます。これからもよろしくお願いいたします。
韓国史データベース
韓国のサイトにある「韓国史データベース」には戦前の韓国(朝鮮)で役所や学校に勤務していた方のお名前も登録されています。当時の職員録をもとに作成されていて、異動された勤務先も辿ることができます。ただ1943年以降は職員録の資料が少ないのか検索しても出てこない場合があります。
ここでは公務員として勤務されていたお父様やお祖父様の勤務地や職場を探すことができますので、一度お試しになってみるのもいいでしょう。では手順を説明します。
写真① 韓国史データベースを開きます。http://db.history.go.kr/ 赤枠で囲っている部分に調べたい方のお名前を入れます。お名前は漢字で入力してください。そのあと青枠で囲っている部分をクリックして検索します。
写真② 写真①をクリックすると写真②の画面になります。赤枠で囲った部分クリックしてください。(写真の例は龍岡国民学校のハングル表記「인천용강국민학교」で検索しています)赤枠の部分は日本語で「職員録資料」という意味です。
写真③ 写真の例は写真②の龍岡国民学校なのでそこの職員録が出ていますが、個人名で入力し検索すると、その方が勤務した職場がハングルで出てきます。ハングルが読めない方は管理人に連絡していただければ、日本語にしてお知らせできます。赤枠で囲った部分は左から日本語で「番号」「調査時期」「名前」「所属」「官職」「官等」「功勲」「参考事項」となります。
写真① 写真② 写真③
ご協力ありがとうございました。
7月6日に行った仁川の生活についての聞き取り調査。久保田様、川名様、山村様、吉原様の4名の方々からお話を伺うことができ、無事終了しました。
調査のために来日していた韓国の金先生も思った以上のお話を聞くことができたと大変満足しておりました。やはり当時、実際に仁川で暮らしていた方々のお話ですから、歴史の証言ともいえる貴重なお話には金先生もわたしも「そうだったんですか」を連発していました。
また会場に来られた皆さまが現在もお元気でいらっしゃることも喜んでおられました。これからもお元気で、機会があれば仁川に来てくださいということでした。
1947年仁川の航空写真
韓国のサイトですが、終戦2年後の仁川の航空写真が見られます。手順を下の写真で説明します。
まず、韓国のサイトを開きます。http://imap.incheon.go.kr/icmap/map.jsp
写真①のような画面になります。この画面では赤丸で囲んだ部分の操作をします。まず左上の部分です。
写真②ここは住所を入力する部分です。例として以前の仁川中学校の住所を使います。上の赤丸2ヶ所は文字を選択するように なっているので入力は必要ありません。左側を「중구」右側を「 전동」とハングルを選択してください。次は数字入力です。ここは「26」と入力します。そのあとで緑の部分をクリックしてください。
写真③のような画面に変わります。画面に枠が出てきます。この枠は必要ありません。赤の矢印の先の✖をクリックすれば枠が消えます。次に右下の赤丸で囲んである時計のマークをクリックします。
写真④のように下に数字が出てきます。これは年代です。47をクリックしてください。
写真⑤は1947年の航空写真です。赤の矢印の先の◁をクリックすると、住所入力画面が小さくなります。下の数字の箇所、47の左に▷があります。これは写真の年代が自動で進んで行くようになっている場合があります。もし写真が変わり始めたら、そこが▢になるので▢をクリックして止めてください。
写真⑥あとはマウスを使って見てみたい場所に移動してみてください。⑥の写真の中心にあるのは旭国民学校です。写真上にハングルで出ているのは現在その場所にある公共施設などの名称です。
写真① 写真② 写真③ 写真④ 写真⑤ 写真⑥
引揚げ時にお預けになった物件のご確認
終戦後、インフレ抑制を目的として日本国内に持ち込める有価証券類が制限されました。そのため、外地からの引揚げ者が所有する現金や証券類のうち、一般人及び軍属1000円、軍人将校500円、下士官以下200円を超えるものについては預かりとなり、税関で保管されています。保管は預かった場所によって「外地扱い物件」「上陸港扱い物件」の二つに分かれています。外地扱い物件については横浜税関で一括保管、上陸港扱い物件は現在その地を管轄する各税関で保管されています。
わたしの場合、祖父一家が上陸した港が博多だったという母の記憶から門司税関(門司税関は門司、博多、仙崎に上陸した引揚げ者の証券類を保管しています)に保管物件の調査をお願いしました。また門司税関から横浜税関に連絡していただき「外地扱い物件」の調査もしていただきました。結果は保管物件の該当なしという返答でしたが、確認をしたことですっきりした気持ちになりました。
税関では現在でも多くの保管物件があると聞きました。お祖父様やお父様がお預けになられた物件がそのままになっているかもしれません。税関には電話での問い合わせも可能です。下の情報を参考にしてください。
http://www.customs.go.jp/moji/moji_osirase3/kanshi/hokanshoken.html
仁川のお店の紹介
仁川の中区庁の近くに「Pot-R」(ハングルでは팟알)というカフェがあります。この店では「仁川を想う会」のHPにも出している仁川の昔の絵葉書や故佐藤米次郎画伯の版画の絵葉書、仁川に関する書籍(韓国語)などを販売しております。
仁川に行かれた際には是非立ち寄ってみてください。絵葉書は1枚1000ウォン、日本円で100円位です。毎週月曜日が休みです。
旧三菱住宅保存
11月24日のインターネット西日本新聞に「強制労働伝える 旧三菱住宅保存 韓国・仁川で事業開始」という見出しで記事が出ていました。下は西日本新聞へリンクしています。その下は記事をPDFファイルにしています。