仁川のお話
日本租界があった時代から終戦後引揚げまで仁川での出来事や当時仁川に住んでいた方のお話、吉原勇さんに執筆していただいた「仁川の70年」などが入っています。
平石さんの思い出
1988年のある業界誌に仁川を訪問したお話が投稿されていました。投稿された方がご健在であれば、今年87歳になられます。どんなお話でもいいので、仁川の思い出話を聞きたいものです。
戦前の修学旅行日記から
戦前は見聞を広めるため内地から外地へ、外地から内地へ修学旅行をしていました。当時は修学旅行日記という価値で学習成果を記録していました、今回はその中で仁川を訪れた、徳島商業学校の生徒の日記を取り上げました。
出処は徳島大学総合科学部人間社会文化研究第29巻からです。
仁川紀念日
古い新聞を見ていると、仁川では仁川紀念日というものがあったようです。日露国交が破断したことで、1904年2月8日、日本艦隊は仁川港のロシア艦隊を攻撃し、日本陸軍の先遣隊が仁川に上陸しました。
そのことから毎年2月8日を仁川紀念日(仁川デー)として、盛大に祝っていたことが新聞に出ていました。
足跡
岡山県の眼科の先生が書いたものがネット上に残っています。このお話がいつ書かれたのかはわかりません。
2016年に植村先生にお手紙を出したのですが、返信はありませんでした。下はそのサイトのURL、右はお話のPDFファイルです。
http://www.okayama.med.or.jp/activity/bukai/joi/column/007.html
夕闇せまる仙崎港
福岡市別府公民館が1980年にまとめた「その日私は」の中に仁川から引揚げるお話が出ていました。
https://sites.google.com/a/sum-lab.com/befu-history/home/tales-of-the-old-people/1980
作家本田靖春と仁川
主に昭和の時代に活躍していた、ノンフィクション作家でジャーナリストの本田靖春氏は京城生まれで、祖父が仁川にいたこともあり、幼いころ何度か仁川に来ています。その思い出が本田靖春氏の著書に書かれていました。
ある一家の引揚げ1
2月にご紹介したあるブログに出ていたお話です。ブログ主の方は引揚げ時に4歳だったので、当時の記憶があまりないそうです。引揚げの様子はお姉さまが書かれた本をお読みになってわかったとのこと。文章はお姉さまが書かれた内容を抜粋してブログに掲載していたものです。
少し長いので2回に分けて、ここにアップします。
昭和20年9月仁川でのある出来事
あるブログに昭和20年9月に起こった仁川での出来事が出ておりました。ブログ主の方がお父様から直接お聞きになったお話です。その方とは今後も連絡を続けていこうと思っております。
昭和20年9月米軍上陸の際に発砲事件があり、朝鮮人2名と日本人1名が死亡したことがありました。実際、その事件のことで上仁川駅で大きな暴動があったことが記録に残っています。
仁川の70年
『降ろされた日の丸』の著者吉原勇さんに執筆していただいた「仁川の70年」。PDFファイルにまとめました。
京都府八幡市の戦争体験談記録集
八幡市の戦争体験談記録集のP26~P35に前川美智子さんの「朝鮮からの引き揚げ」が出ています。前川さんが仁川で暮らされていたときのお話、そして仁川からの引揚げ時のことが出ています。前川さんは昭和5(1930)年生まれで終戦当時は女学校に通っていました。
戦争体験談記録集の見方は下のURLをクリックしていただくと、八幡市のHPに進みます。その中に戦争体験談記録集があるので、そこをまたクリックしてください。
うまくダウンロードできない場合は下にあるダウンロードを利用してください。
http://www.city.yawata.kyoto.jp/0000004308.html
終戦当時、仁川の富平町に住んでいらした鈴木さんのお話です。鈴木さんは仁川昭和西公立国民学校に通われていました。
旭国民学校から仁川中学校に進まれた武本さんのお話です。身辺雑記の77~82に仁川での出来事が詳しく書かれています。